福山と備後は瀬戸内海の輝かしい歴史をもっていた
なぜ福山の人は福山の歴史に自信が持てないのだろうか?
備後は明治維新以来政治的な中心地ではなくなった。
明治維新は「薩長幕府」
明治政府がおこなった廃藩置県のとき福山は当然のことながら「福山県」となるべき力をもっていた。そのまま県になって当然であったがそうはならなかった。しかし、一時は福山県となった。明治4年福山は廃藩置県で「福山県」となった。
しかしその年の11月「深津県」と改称され、明治5年6月には「小田県」となっている。その時の県庁は笠岡に置かれた。明治政府はどうしても「福山」を使いたくなかった。薩長幕府としてどうしても瀬戸内海のど真ん中にあるハートランドの力をそぎたかったのである。
明治8年岡山県に編入、「福山を消そう」という強い意志が猫の目の様に変わる改称に現れている。これらの改称により福山県は消えた。
福山は岡山県の一部となる
明治9年今度は広島県に編入され現在に至っている
こうして福山は岡山、広島の谷間になりハートランドという政治的エネルギーを消失させられた。
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