広島県い草栽培面積と畳表生産量
明治18年 274ha 190万枚
大正10年 786ha 270万枚
昭和10年 1117ha 290万枚
昭和23年 171ha 390万枚
昭和27年 1220ha 600万枚
昭和48年 450ha 1299万枚
昭和60年 95ha 508万枚
平成5年 95ha 305万枚
平成19年 18ha 38万枚
歴史
広島県で生産されるびんご畳表は天文、弘治(1532~57年)の頃、山南村(沼隈町)で水田にいぐさを栽培して引通表を織ったのが始まりです。慶長5年ごろ(1600年)には長谷川新右衛門が短いい草を利用した中継表を考案して畳表の量産を可能にしました。
時の芸備の殿様、福島正則公は近郷に代官を派遣して中継表の製織技術をひろめました。
後の、水野、松平、阿部の福山藩主もびんご畳表を備後国の特産品として保護奨励し、品質管理にも厳しかったので早くから宮中や幕府の御用表や献上表の指定銘柄となって、年と共に名声を博し、今日の品質日本一の生産地として名実共に不動の地位を築きあげました